東 雑記帳 - 心臓の賞味期限

東 雑記帳 - 心臓の賞味期限

「人間の心臓はいつまでもつのだろうか」
「そりゃ死ぬまでに決まっている」
これでは答えになっていない。

「人が死ぬときは皆、心不全」である。心不全の果てに心臓が完全に働かなくなり、止まるからであろう。だから、どういう病気が背景にあったとしても、「心不全で死亡」といっても通るのだろう。
心臓死が死亡判定の基準であったときは確かにそうであったが、しかし、今は脳死が人の死という決まりになったが、かといって、まだ心臓が動いているのに「はい、ご臨終です」とはならないだろう、臓器を提供する以外には。

冒頭に戻って、心臓は何歳ぐらいまでもつのだろうか。
循環器の専門医は、ある医師は「六十歳」という。
別のある専門医は「心臓の賞味期限は五十五歳」と述べていた。
「神様がそのようにつくった」とも。

五十五歳説の理由は、五十五歳の時点で健康な人が、それ以降では三人に一人が心不全を発症するからだという。心不全が進むと死に至る。
ある地方のデータでは、六十五歳以上の三人に二人が、七十五歳以上の二人に一人が心不全になるという。
心不全が進むと死に至る。一度心不全に陥って入院治療を受けた人の五年生存率は約五〇%と聞いたことがあった。がんの五年生存率より低い。

このことを話すと、ある人は「そんなことない。九十まで生きる人はざらにいるし、百歳でも元気で自立した生活を送っている人もいるんだから」と反論する。
なるほど、それはそのとおりで、そういう人は心臓を無駄遣いせず、うまく使って生きてきたのだろう。大事に使えば、賞味期限は長い。「賞味期限五十五歳説」はそういうことだと、解釈している。

「心臓の賞味期限」という言葉に違和感を持つむきもあるだろうが、使い物になる期限、価値を保ちうる期限などを比喩的にいったものと思われる。

しかし、私たちのほとんどが、そんなことはまったく意識しないで生きているだろう。
心臓は日夜休むことなく働き続けている。起立した上体では、血液を下肢から戻すのに心臓は大きな負担をしいられる。
座業で上体を起こし、息を詰めて長時間仕事を続けると、心臓は悲鳴を上げる。

かつての立志伝中の人物、細菌学者の野口英世は五十一歳で黄熱病に感染して亡くなったが、その数年前に心肥大になっていた。
睡眠もとらず、長時間椅子に座り顕微鏡を覗き続ける生活を長年続けたのだから、無理もないと思う。

ところが私たちは、どんなに無理を続けても、それによって心臓が壊れるとは思いもしないが、無理をすると心臓弁膜庄や心房細動を引き起こし、心不全への道を進んでいくのである。
冠状動脈の老化やそれによって発症する心筋梗塞も心不全のも原因となる。カロリーのとり過ぎや運動不足、その結果としての肥満なども心筋梗塞などの冠状動脈疾患の原因となる。

心不全について知識も意識も持たない人が多いことから、日本循環学器学会や日本心臓財団はこの病気の啓蒙のための活動を積極的に行っている。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。