病気と歴史 - 胃潰瘍が国民的作家、漱石の『明暗』を未完にさせた(3/3)

病気と歴史 - 胃潰瘍が国民的作家、漱石の『明暗』を未完にさせた
処方された風邪薬(咳止め薬)にアスピリンが入っていた

漱石は亡くなった翌日、病理解剖が行われ、「胃潰瘍からの大量出血による失血死」と認められた。こんにちでは、胃潰瘍の発症にはヘリコバクター・ピロリという細菌が原因の場合が多いと考えられている。漱石もヘリコバクターに感染しており、漱石の胃潰瘍はこの細菌の仕業だったとの見方を、ある病跡学の専門家は示しているし、大方の見方もそのようである。

ところが、ウェブサイトに日本消化器内視鏡学会誌に発表された、日本消化器内視鏡学会名誉理事長・最高顧問、聖マリアンナ医科大学客員教授の丹羽寛文氏の『潰瘍治療の変遷と内視鏡』と出した論文が公開されている。要点を引用すると、次のように述べられている。

筆者の同級生で盟友である元関東中央病院副院長の野村益世博士が詳しく調査されて詳細を発表されておられるが、漱石の記述の中で胃の中に何か入れると一時痛みが止むとの事で、典型的な胃潰瘍の症状があった様である。
胃潰瘍の疑いで病院に入院し、その後便潜血反応も陰性になった為修善寺に転地療養に赴き、同地の旅館「菊屋」に止宿したが、東京を立つ前から喉を痛めていて修善寺についても喉は一向に良くならず医師から薬を貰って飲んだが、翌日胃に異常を感じ激しい痛みが起こり、さらにコーヒー残渣様の嘔吐を何回か繰り返したという。

この処方された薬に非ステロイド性抗炎症薬(解熱鎮痛薬)のアスピリンが入っていたと思われる、というのである。

おそらくこの時風邪薬として処方された薬の中にアスピリンが入っていたのであろう。黒い吐物は地元の開業医野田洪哉医師から血液であるとの指摘を受けている。8月8日の日記にも野田医師から薬を貰い服薬したところ、胃ケイレンを起こしたと記載されている。多分喉が痛いという風邪の症状に対し処方された薬にアスピリンが入っていたのであろう。

風邪薬(咳止め薬)を飲むと胃が苦しい

さらに、当時のアスピリンの事情についての記述が続く。

(中略)アスピリンは明治33年より日本に輸入され、発熱各種の疼痛(漱石は神経痛もわずらっていた)に最近輸入されたばかりの痛み止めの新薬として広く使われ風邪薬の処方にも最新の新薬ということで当然加えられていたのであろう。しかし当時アスピリンの胃に対する副作用は全く知られておらず、野村博士の調査によると喉を痛め咳止め薬を飲むと胃が苦しいという記載が日記の随所に見られるとのことである。

文中の野村博士とは、昭和4年生まれ、東京大学医学部を卒業し、東大第2内科を経て関東中央病院消化器内科部長、同病院副院長等を歴任した、野村益世医師のことである。漱石の胃潰瘍についての論文を医学誌『クリニシャン 33巻 347号 昭和61年』に発表しており、丹羽氏の記述はこの論文に基づいている。野村医師はのちにこの論文に加筆し、『漱石の大出血はアスピリンが原因か』(愛育社)を平成20年(2008)に出版している。ちなみに、この本はアマゾンに古書が出品されているほかKindleの電子書籍も販売されている。

その本に次のように書かれている。

胃腸病院に入院加療し、軽快退院した直後になぜ潰瘍が悪化したのだろうか? 筆者には、風邪薬が主因だった、と思えてならない。「東京を立つときから劇しく咽喉を痛め、……修善寺に着いてからも咽喉は一向に良くならず、……医者から薬をもらった。……余の苦痛は咽喉から胃に移った」(思い出す事など)と書いているからである。
この薬の中にアスピリンでも入っていたのではなかろうか。鏡子夫人の『漱石の思い出』にも「胃を悪くする前にはよく咽喉を痛める……」とある。(中略)
風邪薬も恐らく8月7日か8日に、野田医師から貰ったのであろう。8月8日の日記に、服用後胃けいれんを起こしたとある薬は、胃薬ではなく野田医師に処方された風邪薬なのであろう。

ピロリ菌感染に、アスピリンが作用し、ストレスや過敏な性格、タバコも関与

さらに、アスピリンや抗炎解熱鎮痛薬について次のように述べている。

解熱鎮痛薬服用をきっかけに、潰瘍から大出血を起こして緊急入院してくる患者は、今日でも非常に多いのである。そのようなNASIDと呼ばれる解熱鎮痛薬は漱石の頃はアスピリンしかなかったが、現在ではインダシン・ボルタレン・ロキソニンなど極めて多数存在する。
現在胃潰瘍の成因として、次の2つが挙げられている。(1)ピロリ菌感染、(2)著者の世代のピロリ菌感染率(約70%)から推定すれば漱石もまず感染していたであろう。そして時折服用したアスピリンが強力な増悪因子として作用したと考えられ、ストレス(漱石の場合は職業的・家庭的ストレス)・過敏な性格・タバコも漱石の胃潰瘍の巨大化に与っていたと思われる。

漱石は30歳ころまでは大の肉好きで、大食でもあった。甘い物も大好きだった。また、落花生を食べては胃を悪くし、鏡子夫人にたしなめられたという。これら食生活も胃潰瘍の増悪に関与していたと思われる。

『漱石の大出血はアスピリンが原因か』によると、野田医師はこのアスピリン起因説は最初昭和60年当時勤務していたとき病院の新聞(関中新聞)に書いたという。それにしても、病跡学の専門家ではないのに、よくぞ遺されている文献から、潰瘍の悪化にアスピリンが関与していると気づいたものだと思う。

野田医師が書いているとおり、アスピリンは潰瘍を引き起こし、アスピリン潰瘍という名称も用いられる。外用でも潰瘍は発生する。
アスピリンは胃腸障害の副作用が強すぎるとわかった今では、風邪薬として使われていない。一方、今ではNASID(非ステロイド性抗炎症薬。解熱鎮痛薬))はいろいろな種類が登場し、多様な痛みに多用されている。内服だけでなく、外用薬もある。頭痛などの痛みの改善にとても便利な薬で、そのため常用する人も多いが、さまざまな副作用があるし、低体温をもたらす。
胃潰瘍の原因というと、わたしたちはすぐにストレスやヘリコバクー・ピロリが頭に浮かぶが、アスピリンなどNASIDは盲点になっているだろう。

薬には功罪あるものと認識しておきたい

胃潰瘍の治療薬としては昭和50年代にH2ブロッカーが、平成の初めにはプロトンポンプ阻害薬が登場し、潰瘍はよく治るようになった。いずれも、胃酸の分泌を強力に抑制し、炎症を鎮め、潰瘍を治す。しかし、どちらの薬も服用を中止すると胃潰瘍は再発することがよくある。

胃潰瘍の薬は副作用も強く、市販のH2ブロッカーは胃潰瘍や十二指腸への使用は2週間を超える連用は禁忌とされている。PPIは胃潰瘍や十二指腸潰瘍への使用は6~8週間に限られている。ところが、PPIは逆流性食道炎の治療に長期に用いることや、低容量アスピリンや非ステロイド性抗炎症薬を用いる際の胃潰瘍や十二指腸潰瘍の予防のために用いることが認められている。しかし、NPO法人医薬ビジランスセンターの浜六郎医師など、長期連用は害が多いと、注意を促す医師は少なくない。
高齢化社会の今、心疾患など病気の予防・治療のためにアスピリンを服用する高齢者が増えているといわれるが、アスピリンを投与するときはPPIを併せて投与する。
ちなみに、H2ブロッカーやPPIの問題を解決する方法として、その後、除菌治療が登場した。除菌に成功すれば、9割以上は潰瘍が再発することはなくなった。しかし、これはこれで問題があるとの指摘もある。

現代の常識だろうが、アスピリンといい、胃潰瘍薬といい、薬には功罪あるものと認識しておくべきだろう。

日本で初の胃潰瘍術が行われたのは漱石の死から2年後だった!

ところで、漱石はなぜ手術をしなかったのかと思うかもしれないが、わが国で胃潰瘍の手術が初めて行われたのは漱石の死後2年たってからだった。
漱石は、『明暗』の執筆半ばで胃潰瘍に斃れた。未完となった『明暗』は、けっして円満ではない夫婦関係を軸に人間の利己を追求した近代小説で、則天去私の境地を描こうとしたといわれる。漱石がもしこのとき亡くならなかったら完成を見たはずで、この小説はどういう結末を迎えたのだろうか。
現在では胃潰瘍の治療は進化し、命を落とす病気ではない。漱石が助かって還暦を過ぎて生きていたとすれば、どのような作品をものにしただろうか

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。