東 雑記帳 - 弘法大師が広めたハブソウとエビスグサ

東 雑記帳 - 弘法大師が広めたハブソウとエビスグサ

子供の頃、生まれ故郷の瀬戸内海の島の生活で、朝ごはんは茶粥だった。乾燥したマメ科の種子を布の袋に入れて水から炊く。中華粥のようにとろとろに煮るのではなく、少し硬めの状態で火を止める。それを、さらさらとかき込んで食べる。
この豆は、なんという名前の豆だったのか、四十歳になった頃のこと、当時とうに母は亡くなっていた。帰郷した際に親戚のおばさんにたずねてみたら、「ありゃ、決明子よ」と教えられた。そして、付け加えて、こう言ったのだった。「わたしゃ、煎茶のほうがいいけどね。今はいつも、煎茶よお」
この当時も茶粥を食べる習慣は残っていたが、使うお茶は家によって違うようだった。
ちなみに、決明子は漢方生薬名で、薬草の名前はエビスグサである。

四十歳の頃から、薬草について取材し、原稿を書くことがよくあった。取材相手の1人に、徳島大学生薬学教室の村上光太郎先生がいた。この人は岡山か広島かの出身だった。
平成九年のころだった。あるとき、決明子の話になった。エビスグサによく似たマメ科の植物にハブソウがある。エビスグサもハブソウも昔から漢方の生薬としてよく使われてきて、生薬名はエビスグサが決明子、ハブソウが望江南という。村上先生が、両者にまつわる面白い話をしてくれた。

エビスグサは熱帯アジア原産で、ハブソウは中国南部原産。伝承によると、これらを国内に広めたのは四国生まれの弘法大師空海であった。布教の宣材として利用した。四国を巡礼したとき、土佐(高知)では、薬効あらたかな植物だから植えて使用するとよいと教えてハブソウの種子を分け与えた。一方、阿波(徳島)では、同様にエビスグサの種子を与えたとの伝説が残っているというのである。

村上先生によると、全国的に見ると、両者の栽培の分布は混在しているという。ところが四国では、昭和の終わり頃まで、高知県ではハブソウを、徳島県ではエビスグサを植え、その逆はなかった。二つの県の県境近くには両方が見られたという。伝説が本当なら、その教えが何百年も伝統として守られてきたいとうことだろうか。
ところが、ここ十年くらいの間に高知県ではいつの間にかハブソウからエビスグサに変わってきており、ハブソウ一色だった面影はなくなりつつあるという。(この話を聞いたのは、二十五年も前のことである)

ちなみに、エビスグサもハブソウも味はほぼ同じで、区別がつかない。茎、葉の形状は違うが、関心がない者には同じものにしか見えないだろう。味はほとんど区別がつかない。
しかし、エビスグサとハブソウはややこしい。この話、次回に続く。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。