東 雑記帳 - ギリシャバーの女

東 雑記帳 - ギリシャバーの女

昭和48、49年頃の話である。当時、横浜の小さなホテルのフロントで働いていた。土地柄、外国の船員が団体で数日間、宿泊することがあった。ギリシャやソ連の船、また台湾人とフィリピン人が混ざっている船もあった。横浜で一時帰休し、また次の目的の港を目指す。
その間は、旅行代理店に相当する、船会社の代理店が世話をする。船員たちをホテルに連れてきて、その間の食事等の世話をする。

ナイト勤務だったある夜のこと、部屋に上がるエレベーターの前で、ギリシャの船員と1人の女がもめている。というより、女が船員の男の袖をつかんでいる。フロントデスクからは、客室へのエレベーターは死角になっていて見えないが、玄関前のガラスに映るし、気配も伝わる。上半身を乗り出せば、エレベーター前の様子はうかがえる。

シングルの部屋に女性が同伴するのはお断りである。気になって見ようとしたとき、たまたま、船会社の代理店の社員がフロントに来た。近藤さんというその男性もすぐその光景に目を向け、笑いながらこう言った。
「あれはギリシャバーの女だよ。自分を買ってくれ、部屋に行かせてくれとせがんでいるが、男は嫌がっているよ」
女は、声にならない声を発しているようだったが、こんちゃんこと近藤さんによると、女は聾唖者とのこと。

横浜はいろいろな外国の船が寄港するが、各国の船員たちはバーに飲みに行く。外国船員のうちでも、ギリシャ人は特に多く、彼らはギリシャバーと呼ばれるバーで飲んだ。当時、船会社の代理店の人たちに聞いたところによると、ギリシャバーには聾唖の女たちがいて、ギリシャ人の船員たちはそこで酒を飲み、女を買ったりもする、ということであった。

今も横浜にギリシャバーを名乗る店はあるが、それはレストランで、かつてあったギリシャバーとは異なるようである。
往年のギリシャバーのことはインターネットには出ていない。作家の五木寛之さんがいつか新聞に連載のコラムでギリシャバーのことに触れていた記事を目にしたことがあるが、かつてそういうバーがあったということだけであった。
ギリシャバーはいつ頃消滅したのか。そこにいた聾唖の女たちはその後、どうなったのか。どこへ行ったのか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。

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