東 雑記帳 - 肥後守が消えた理由

東 雑記帳 - 肥後守が消えた理由

前回に続き、肥後の守に関した。
今から十年前、朝日新聞の夕刊の「サザエさんをさがして」という連載で、肥後の守を取り上げていた。そこには一九六七年に掲載されたサザエさんの四コマ漫画が載っていて、カツオが試験前、机についたものの、ナイフで鉛筆を削ってばかりいて、削りカスの山ができている。ナイフは肥後の守だった。

記事の見出しに、「肥後の守 刃物追放運動によって減少」とあった。
記事によると、一九六〇年九月一九日の朝日新聞夕刊に「『青少年に刃物を持たせない運動』が警視庁少年課の提唱で近く展開される」との記事が掲載された。
「少年の間では刃物を持ち歩くことが流行のようになっているが、このためケガをさせたり、強盗を働いたりするといった例も少なくない」といい、「少年に刃物を持たせない」ため、刃物追放運動を始めるとある。
そして、同年一〇月一二日、東京・日比谷で浅沼稲次郎・社会党委員長を一七歳の少年が刺殺する事件が起こる。これで一気に刃物追放運動が全国に広がり、肥後の守も、次第に子どもたちの手から離れていった。

浅沼さん刺殺事件が起きたとき、自分は小学五年で、この種の報道に接したのは初めてで、驚いたことを覚えている。右翼団体、愛国党の少年。大学一年なのに一七歳と紹介されており、それが不可解であるし、事件が起きたときの映像を見て、どうして誰も凶行を止められなかったのか、そのことも不可解だった。
それはともかく、この事件がきっかけで一気に刃物追放運動が広がり、肥後の守も子どもの手から離れていったとは、当時知る由もなかった。

当時、少年の間で刃物を持ち歩くのが流行のようになっていたなど、知らなかった。肥後の守は、少年はたいてい持っていたけれど。
そういえば、中学に入学した年の四月、新しいクラスで、自分の席は校庭側の前から三列目だったと思う。
新学期間が始まって間もなくの頃、席について授業を受けていると、尻に何かとんがったものが当たる。振り向いたところ、後ろの席の安東君が笑みを浮かべていたが、その手にはナイフが握られていた。ジャックナイフだった。安東君とはすぐに仲良しになった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。