東 雑記帳 - 移動屋台の夜鳴きソバ

東 雑記帳 - 移動屋台の夜鳴きソバ

昭和四十五年(1945)当時、上野広小路の盛り場にあるトリスバーでバーテンの真似事をしていた。バーテンダーはチーフを含めて五人で、早番と遅番に分かれていた。自分遅番で、六時に店に入る。営業終わりの時間は決まっておらず、したがって、二時頃まで、あるいは三時半ころまで働くこともあった。店は他に経営者と調理の女性が一人いた。経営者は始終レジに張り付いていた。
住まいは、店が借りている、千駄木団子坂にある三畳一間のアパートだった。帰りは深夜のためタクシーで、同じ方向の西日暮里に住んでいる先輩バーテンダーと同乗した。

不忍通りを根津の交差点近くに差しかかる手前、進行方向左、道路沿いに、池之端トルコという名のトルコ風呂があった。今のソープランドであるが、当時はまだトルコ風呂で通っていた。特殊個室浴場である。
深夜、タクシーに乗っていて、このトルコ風呂に近づいたとき、店の前に夜鳴きソバの屋台がとまっていて、トルコ嬢たちが立ったまま、丼のラーメンをすする光景に出くわすことがあった。
この屋台は、普段、夕方にはまだ、中央通りに面した上野ABABのビルの脇道、ビルに沿うように置かれていた。何時頃出発するかはわからないが、チャルメラの音を響かせながら不忍通りを池之端から根津、千駄木方向へ流して歩く。

冬の深夜三時頃だっただろうか、外は小雪がちらついていた。池之端トルコに近づくと、店の前に夜鳴きソバの屋台がとまっていて、屋台を取り囲むようにトルコ嬢が四、五人、立ち、ラーメンの丼を手に持ち、麺をすすっている。丼からは湯気が立っている。屋台の麺をゆでる鍋からも湯気がもうもうと立ち上がっている。
トルコ嬢たちは、白の上っ張りに白のホットパンツという定番の衣装の上に、それぞれ何かを羽織っている。うつ向いてすすっているので、顔は見えない。
小雪の舞うなか、それはなんとも言えない風情で、一幅の絵画のようでもあり、今も記憶に残っている、

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。