【知らないうちが花】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【知らないうちが花】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

小学校高学年の頃のこと。冬の土曜の午後、四畳半の居間でうたた寝していると、母親と親戚の女の人がしきりと何か話している。
聞くともなしに聞いていると、一人の親戚のおばさんが、
「知らないうちが花だからね」と言うと、もう一人のおばさんが、
「そうそう、知ってしまったら、おしまいよ」
その後、この言葉をテレビで耳にしたのは、歌謡番組か、懐メロ番組か。女性歌手が歌っていたある歌で、最後のフレーズが、

♪知っていまえば それまでよ
知らないうちが花なのよ

終りの部分が、メロディーの良さも相まって、妙に耳に残ったのだった。
この歌は昭和五年(一九三〇)、大流行作家、佐藤紅緑の新聞小説「麗人」が人気となり、同年に映画化されたときの主題歌で、作詞は佐藤ハチロー、作曲・堀内敬三、歌ったのは河原喜久恵という名の女性歌手だった。作詞のサトウハチローは紅緑の三男で、詩人として名を馳せた。
映画もヒットし、主題歌も大ヒットしたというから、その後も一般の人達の間で歌い継がれ、

この最後の二小節も人の口にのり続けたのではないだろうか、と思う。
昭和三〇、四〇年代にこの歌を聞いた覚えがあったが、調べてみたら四四年に梓みちよさんがレコードに吹き込んでいるし、東京ロマンチカというムード歌謡グループのボーカルだった三条正人さんがソロでレコードを出している。
耳に残っているのは女性の声で、それは梓みちよさんの歌だったのか、あるいは、懐メロ番組で誰か女性歌手が歌った記憶だろうか。
小説『麗人』は読んだことがないし、今や入手困難であるが、『麗人の唄』の歌詞一番を次に引き写すが、この詩を読むと、「知ってしまえばそれまでよ 知らないうちが花なのよ」の意味はおのずとわかるというもの。

♪ぬれた眸とささやきに
ついだまされた恋ごころ
きれいな薔薇にはとげがある
きれいな男にゃ罠がある
知ってしまえばそれまでよ
知らないうちが花なのよ

この言葉は時代に関係なく、普遍性がある。人間が変わらない限り、この言葉は使い続けられるのではないだろうか。ちなみに、「知らないうちが花」は国語辞典にも諺や慣用句の辞書にも収載されていない。
意味が近い言葉に「知らぬが仏」があるが、「知らないうちが花」のほうが現代の語感ではリアルな表現だと言えるだろう。

人間関係において、相手の裏の顔に気づいたとき、「知ってしまえばそれまでだな。知らないうちが花だなあ」と、近づきすぎたことを後悔することも人生ではめずらしくないだろう。
この言葉、第三者同士で、わかったふうな口を聞く言葉としては最適であるが、当事者に向かって言うのは控えたいもの。
イケメンの見かけだけで中身も情もない男にだまされた女性に対して、この言葉を慰めのつもりで言ったとしたら、
「そんなことわかってるよ」と、怒りを誘うことになってしまうに違いない。

付け加えると、「○○○○が花」という言葉には、よく知られ、使われるものに「言わぬが花」がある。
他にもいろいろな応用ができる。
「独身のときが花」
「若い時が花」
「生きているうちが花」
イーターネットで検索したら、『生きているうちが花なのよ。死んだらそれまで党宣言』というタイトルの映画(倍賞美津子主演)が昭和五五年に上映されていることがわかった。
「生きているうちが花なのよ」の後に「死んで花実が咲くものか」と続けることもある。

「酒が飲めているうちが花よ。もっと飲みなさい」と妻に勧められると、「ぼくのことをもうすぐ死ぬと思っているのか」と勘ぐってしまう。
また、七〇歳を過ぎても社交ダンスに興じている女性に向かって、
「いい趣味ですねえ。踊れているうちが花だから、がんばってね」などと言ってしまうと、
相手の気分を害することになるので、用い方要注意である。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。