【涙雨(なみだあめ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【涙雨(なみだあめ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

六三歳目前で病気のために死亡した母の葬儀の朝、小雨が降り始めていた。親戚のおばさんの家に挨拶に行き、玄関先でものを言ったところ、おばさんが、半分開けた引き戸から外を見やりつつ、
「お母ちゃんの涙雨やねえ」と一言、つぶやいた。ごく自然に口をついて出た感じだった。
そのおばさんは、筆者の母を「おかあちゃん」と呼んでいたが、二人は苗字が同じ。おばさんは子供を亡くしていたことから、うちの母のことをただ「お母ちゃん」と呼び、それで通っていたのだろう。

涙雨は、「悲しみの涙が化して降ると思われる涙」の意。他に「ほんの少し降る雨」の意味もあるが、この場合の涙は「雀の涙」と同じ意味で使われている。
母は六二歳のときに病を得、突然人生が断ち切られた。その無念や悲しみに思いを馳せて、親戚のおばさんは涙雨だと表現したのだろう。
このとき、「涙雨」という言葉はこのように使うものだと、初めて学んだのだった。
それまでの人生で親しい人の死に接した幾多の経験があるから、自然に感情移入し、亡き人と悲しみを分かち合えるのだろうか。このおばさんは戦後間もないの昭和二一年、夫と子供二人の家族三人全部を一年のあいだに亡くしていた。

「涙雨」という言葉は時代小説や戦前の小説、また現代の小説にも用例がいろいろと見られる。
一例として、平岩弓枝の『千姫様』に次のような一文がある。少し長いが、原文のまま引用させていただく。豊臣家が徳川方によって滅亡させられた夏の陣の一場面。

雨が降り出したのは夕刻になってからであった。
沛然と降る雨の中で、大阪城を燃やし尽くした火も消えた。
ずぶ濡れになった家康の隊列が二条城に凱旋したのは戌の刻(午後八時頃)で、雨はまだやまなかった。
京では、すでに大阪城落城と豊臣家滅亡の報が伝わっていた。
「豊太閤様の涙雨じゃ」と空を仰ぐ公卿もあって、今日の人の多くは無理難題をいいかけ、いわば欺し討ちしたような徳川家のやり方を不快に思い、滅びた者への同情の念を禁じなかった。

この文からも、「○○さんの涙雨」という言葉は、亡くなったその人の無念や悲しみなどを思いやる心から発せられるものだとわかる。葬送の時に雨が降ったからといって、「○○さんの涙雨だなあ」と言えばよいというものではないのである。
著名人が亡くなり、葬儀が行われる朝。出棺のときに雨が降っていると、生中継するテレビのレポーターが「○○さんの涙雨でしょうか」などと言うことがある。さまになる台詞であるが、その言葉が似つかわしい死であるかどうか。

涙雨は感情語であり、こういう言葉は周囲の親しい人が実際に使うのに接することによって自分の身につくものであると思う。そして、亡くなった人を親しく思う気持ちがあれば、通夜や葬儀の日の雨を涙雨だと思う気持ちが自然に沸き上がるのではないだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。