東 雑記帳 - 水難の相、女難の相

東 雑記帳 - 水難の相、女難の相

当たったのは水難の相だった

周防大島に離れて住んでいる祖父が時々、島で有名な神様なのか拝み屋さんなのかに、子供・孫たちの運勢を見てもらってくれていた。中学二年の冬だったか。祖父がぼくたちの住んでいる下関に来て、母とぼくに向かって、
「ぼく(筆者のこと)に水難の相と女難の相が出ている」
それを聞いた母は、「水難の相はともかく、女難の相はねえ」と、困惑した様子だった。中学二年生に女難の相とは……自分もまったく想像がつかなかった。妄想するほどには色気づいていなかった。

中学三年の六月初めのこと。中学では、海水浴解禁の日が設けられていた。たぶん、梅雨明けだったと思う。解禁にならない六月の土曜、同じクラスの友だち三人と関門海峡に泳ぎに行った。
潮流が激しい海峡で一人が溺れ、仲間の一人が救い出したものの、意識を失い、泡を吹いていた。結局、救急車を呼ぶ騒動になり、溺れた友達は助かったが、病院に一晩入院した。

高校三年の十一月。クラスで玄界灘に面した宗像海岸に一泊旅行に出かけた。そこには、学校の保養施設があった。
十一月とはいえ、気温が高かったことから、五、六人で海に入った。沖へ沖へと、ひたすら出たところ、いつしか、波が一変。自分一人が取り残された。これまで遇ったことがない高波に翻弄され、流された。高波が来た時は潜り、流れに身をまかせていたところ、そのうち、浜に叩きつけられ、助かったのだった。その間、四十分ぐらいだったが、死ぬかと思った。

担任の先生は、地元の漁師に救出の船を出してくれるように頼んだが、「冗談じゃない、ひっくりかえってしまう」と断られた。「そのうち、おか(陸)に打ち上げられる」と言われたというが、そのとおりになったのだった。

水難の相の予見は大当たりだったが、女難の相は当たらなかった。
女難の相に遇うのは、後年二十代になってからで、有り難いことなのか有り難くないことなのか、ひどい目に遭った。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。