【五臓六腑にしみわたる】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【五臓六腑にしみわたる】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

五臓六腑とは、もとは中医学の臓腑用語で、五臓と六腑のこと。五臓は肺臓・心臓・肝臓・脾臓・腎臓で、六腑は大腸・小腸・胃・胆・膀胱・三焦。それから派生して、心の中、身体の内部、からだじゅうを指しても言う。
この五臓六腑を使った慣用句に、「五臓六腑に染み渡る」がある。「身にしみて深く感じる。沁みわたる。腹にしみる」の意で、酒が腹に染み渡る感覚をも言う。

酒を一気にあおり、「かーっ、腹にしみる」とか「はらわたにしみる」いう人がいるが、そのダイナミックな表現が「五臓六腑に染み渡る」である。ちなみに、「はらわた」には「腹腔内の臓腑」の意味がある。
この慣用句は昔から、文学作品でみられ、放浪の酒仙歌人・種田山頭火も、『其中日記』に次のように書いている。
朝酒はほんたうにうまい。一滴一滴が五臓六腑にしみわたるやうである。

酒が五臓六腑に染み渡る感覚をよく表している一文が、森繁こと森繁久弥のエッセイ『時は巡り 友は去り』にある。
森繁は同じ俳優の山茶花究と莫逆の友となったが、二人が初めて出会い、一夜、山茶花の行きつけの屋台のような飲み屋に行って、店の主人が酒を持ってきてからのことを次のように書いている。

心得た主人は、森繁には銚子と盃、彼にはコップなみなみと酒を注いで出した。私がオチョコに酒を注いで口に運んだその時、彼はコップを口に当て、息もつかずに一気にあおっていた。
「なかなかイケるね」
と山茶花の方を向いたら、彼は目をつむり口をだらりと開け、ヨダレをたらし、奇態な声でうなっているではないか。そしてやおら十分位たって初めて口を開いた。
「すまんが最初の一杯をキューッとあおっている時は、黙っていてほしいンや。酒が五臓六腑にしみわたり、熱い血が全身を走る瞬間があるやろ。あの時が酒の醍醐味やからナ。その時話しかけられても返事は出来んから、おぼえておいてくれ!」

さぞかし酒がはらわたに十二分に染み渡るのだろうと思わせ、山茶花究の言葉である

五臓六腑にじわじわと染み渡る間隔は、日本酒ならではのものだと思う。それも、冷やより熱燗のほうが染み渡る感じが強い。ウイスキーやブランデー、焼酎などの蒸留酒ではこうはいかない。特にウイスキーなどは覚醒系でアルコール味がとがっているので、いっきにあおると脳みそがかっとなるばかりである。
それはともかく、山茶花究が言っているように、日本酒を飲むなら、五臓六腑に染み渡るこの感覚を大事にしたい。

若き日、業界紙の広告取り兼記者をしていた頃、新聞記者くずれのはるか年上の先輩が酒屋の立ち飲みに連れていってくれたが、この人が冷やの日本酒をきゅーっと呷り、しばし物も言わず、貧乏揺すりをしていた。あれも、酒が五臓六腑に染み渡る感覚を味わっていたのだろうか。
飲み方としては、最初の一杯を、きゅーっと呷る。酒飲み友達と二人して、互いに日本酒をあおり、しばし、五臓六腑に染み渡る過程の感覚を味わってから、
「うーむ、五臓六腑に染み渡るなあ」
「うん。五臓六腑に染み渡るねぇ」
他に何も言葉はいらない。

日本酒好きなら、この言葉、死語廃語にせず、後世に伝えてほしいものである。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。