病気と歴史 - 米大統領の任期二期八年を慣習化したジョージ・ワシントンの入れ歯

病気と歴史 - 米大統領の任期二期八年を慣習化したジョージ・ワシントンの入れ歯

アメリカ合衆国の初代大統領、ジョージ・ワシントンは、17世紀中葉にバージニアへ移住したイギリス系の4代目として生まれた。16歳の頃より測量技師として活躍し、その間、広大な土地を購入し、大農園主となった。
1754年に民兵の中佐として植民地戦争に参加し数々の武功を上げ、バージニア軍の司令官となった。農園主として財をなしていたが、59年に裕福な未亡人マーサ・カスティスと結婚し、アメリカ有数の資産家となった。

植民地会議代議員となり、名望家として政界にも登場するが、とくに指導的立場にあったわけではなかった。植民地人の西部への進出を制限するイギリス政府の政策は、土地投機業者としてのワシントンの利害と衝突する。そのため、反英抗争運動に加わっていった。

75年四月、独立戦争の開始とともに総司令官に選ばれ、以来7年にわたって独立戦争遂行の軍事的最高責任者を務めることになった。人員、訓練、装備ともに不十分な軍隊を率いて各地に転戦し、苦戦を続けながらもフランス軍の支援などもあって、81年10月にはヨークタウンでイギリス軍を破り、独立戦争を勝利に導いた。
ワシントンは、桜の木の逸話が有名である。少年のワシントンはあるとき、父親が大事にしている桜の木を斧で切ってしまった。「誰がやったのだ」と問われたワシントンは正直に「僕がやりました」と告白した。それを聞いた父は過ちをとがめず、「お前の正直な答えは千本の桜の木の値打ちがある」とほめたという逸話であるが、これは死後の創作である。ちなみに、ワシントンは桜の木を切ったことは認めたが、謝った様子はない。その点がいかにも欧米人らしい。

83年、総司令官の権限を大陸会議に変換し、農園主の生活に戻ったが、87年にフィラデルフィアで連邦憲法制定会議が開かれ、その議長に選ばれた。まとめ役の任を果たし、この憲法の下での初代大統領に全員一致で選出された。92年に再選され、アメリカ合衆国の経済的、財政的基盤を築いた。対外政策においては、英仏戦争にさいして中立を守り、イギリスとの条約を結んだ。

本人は超党派と思っていたが、事実上はフェデラリストの立場をとっていたため、党派的争いに巻き込まれ、誹謗もされたが、96年、告別演説を行い、国民に政党の弊害、国際的中立の必要性を説いて大統領職を辞した。政界からも国民からも3選を期待されていたのに引退したのだった。

アメリカでは、ワシントンは自由の精神の体現者として、その死後、神格化された。それは日本にも及び、日本でも尊敬の対象となったが後年、その評価は覆った。たんにアメリカ建国の父の1人、1人の歴史上の人物として位置づけられるにとどまっている。

実はワシントンは総入れ歯だった。『入れ歯の文化史─最古の「人工臓器」』(笠原浩、文春新書)によると、若い頃から虫歯かひどく、28歳で入れ歯を必要としていた。大統領就任時には、上顎には歯がなく、下顎の小臼歯が1本残っているだけであった。

このときの入れ歯は、蜜蝋を塗った鉛合金の床に大鹿の牙を削った人工歯を配列したもので、重さは1・3キロもあったという。しかも、当時の入れ歯は、現代の補綴物のようには吸着しない。上下の義肢を金属のコイル・スプリングで連結して、その力で粘膜に押しつけて固定する仕組みになっている。

重い入れ歯が落ちてこないようにするために非常に強力なスプリングがつけられているから、飛び出さないように常にしっかりと顎を噛みしめていなければならない。それにしても、口の中に1・3キロもの重さのものを入れていられるものなのだろうか。

96年には最後の1本も失った。何度も作り替えてみたが、支える歯が1本もない義歯は安定しない。歯科医への書簡で、「義歯が口におさまらない。強いて力を入れて噛み合わせると、唇が鼻の下にとび出してしまうばかりでなく、義肢が歯肉に食い込んで、ひどく痛い……」と訴えている。顔の形が変わり、明瞭な発音ができなくなったことで、人前で演説するのを好まなくなった。

同書では、3選辞退の原因も入れ歯にあったのではないかとほのめかしている。顔写真も、歯が落ちないように口を引き締めていることが伺える。

ワシントンは1799年に67歳でなくなったが、当時の日本は江戸中期。実は日本の入れ歯技術は世界でもっとも進んでいた。歯科医とは別に入れ歯師という職業があって、技術を競っていた。すでに総入れ歯がつくられていて、それは西洋よりも百年も早かった。
最初は土台と歯冠部分が一体のものだったが、やがて土台と歯冠が別々のものがつくられるようになった。素材は木である。

『物語 日本歯学史』(青島攻、書林)や『歯の風俗史』(長谷川正康、時空出版)、『江戸の入れ歯師たち─木床義歯の物語─』(長谷川正康、一世出版)、そして先の本には、本居宣長や滝沢馬琴、杉田玄白に関する記録が紹介されている。

馬琴の日記には、入れ歯の具合が悪く、何度もつくり直した記述が日記に見られる。宣長は長男にあてた手紙ので、入れ歯をつくったがことのほか具合がよいと書き、2首、和歌を詠んでいる。ことのほか入れ歯の具合がよく、よく噛め、若返ったと喜んでいる歌である。また杉田玄白は、入れ歯は食べたり話したりするには多少の役に立つが、どうしてもなじめないと、『耄耊獨語』に書いている。

ワシントンの時代は日本は鎖国であったが、もしも、黒船が百年早く来襲し、国交が開かれていたら……。そして、ワシントンが来日し、日本製の入れ歯を誂えたしたら、間違いなくワシントンは大統領3選に出馬したただろう。

ワシントンは2期8年で辞職したが、この後それは習慣化された。唯一、フランクリン・ルーズベルト大統領がこの慣例を破り四選されたがその後、2期8年に制限することが法制化された。もし、ワシントンが三期務めたとしたら、それが慣習となり、3期12年に法制化されたのだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。