病気と歴史 - 江戸時代の読本作者、滝沢馬琴は緑内障で失明したが書き続け、奇書『南総里見八犬伝』を完成させた

病気と歴史 - 江戸時代の読本作者、滝沢馬琴は緑内障で失明したが書き続け、奇書『南総里見八犬伝』を完成させた
29歳のとき戯作家を生業として生きることを決意 

『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房国里見家の姫、伏姫と神犬八房の因縁によって誕生した八人の若武者(八犬士)が主人公として活躍する長編伝奇小説で、江戸時代の戯作文芸の代表作である。
著者の滝沢馬琴(筆名・曲亭馬琴)は明和4年(1767)に江戸深川に生まれた。27歳のときに、生活のためもあって下駄屋の娘に婿入りするが、家業に身は入らなかった。29歳のとき、戯作家(小説家)を生業として生きていくことを決意し、文筆を始めたが生活は楽ではなかった。夫婦仲もよくなかった。

失明するも、76歳で大作『南総里見八犬伝』を完成

『南総里見八犬伝』を書き始めたのが48歳の時だった。68歳のときには、老後の設計のために医者にした1人息子の宗伯が38歳で逝去。妻、嫁、孫の暮らしが馬琴の背に重くのしかかっていた。
しかも馬琴はその前年、右目が失明していた。それでも左目1つでなんとか書き続けたが、74歳で左目も失明。高い金を払って眼鏡をつくったが、役に立たなかった。人に頼んで口述筆記をしたが、うまくいかない。

そこへ、息子の嫁のお路が申し出た。ここから、妻と嫁の格闘が始まる。なにしろ文盲のお路に口述筆記させるのだから、漢字を教えながらの作業である。しかも、元々妻は嫁に折り合いが悪く、お路に嫉妬し、お路をなにかといじめる。
天保13年(1842)、馬琴76歳の時、28年の歳月をかけた全98巻、106冊の大作『南総里見八犬伝』は完成した。

7年近く暗闇の中に生き、最期は医師の診察を拒否

馬琴はその後、7年近く暗闇の中に生き、嘉永元年(1848)82歳で亡くなった。家族が名医の診察を受けさせようとしたが、「若い者がこれ以上余命を望むなら知らず、わたしにもう医者はいらない」と拒否したという。

辞世の句は、「世の中のやくをのがれてもとのままかえすは天と土の人形」
句中の“やくについて、作家の山田風太郎氏は、著書『人間臨終図鑑』で、「やくとは、六十年になんなんとする著作生活の『役』と『厄』を意味するものであろう」と書き、次のように続けている。
「馬琴自身が、自分の人生の長きに過ぎたことを、だれよりも痛感していたにちがいない」
馬琴が失明した原因の病気は緑内障のようだ。彼の日記に、「痛みがある」との記述がある。老年で失明する代表的な病気に白内障や網膜剥離などがあるが、どちらも痛みを伴わない。馬琴の場合、痛みを伴ったことから、急性の緑内障と見られている。

緑内障は視神経の病気である。馬琴の場合、執筆のために目を酷使したのが原因だろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。