病気と歴史 - 中世を終らせた黒死病、ペスト

病気と歴史 - 中世を終らせた黒死病、ペスト
伝染病の中でももっとも恐れられた 

近代医学が誕生する18世紀までの人類の歴史は、伝染病との長い闘いの連続であり、多くの伝染病の中でもとくに恐れられたのはペストであった。
そのことはペスト(pest)の意味を辞書で調べればわかる。小学館プログレッシブ英和中辞典には、pestの意味としてまず1に、有害な(小)動物(昆虫)、庭の害虫が挙げられていて、2番目次にやっかい者、手に負えない子どもが示され、3番目に〔the ~〕(古)疫病、ペストの意味が出ている。
このことから、古くは疫病、ペストを表し、次第に1、2が主たる意味に移っていったとわかる。

1347年10月、地中海に浮ぶ島シチリアは突然、ペストの侵入を受けた。ペストの魔の手はシチリアからサルデイニアへ進み、11月になる頃にはヨーロッパ大陸の入口である港町のマルセーユやベニスに達していた。
翌1348年に入ると、ペスト大流行の火の手はいっこうに衰える気配もなく、4月にはフィレンツェ、11月にはロンドンへと侵入していった。1349年になると、スウェーデンやポーランドまで次々にペストの魔の手にからめ取られていった。

欧州全土の4分の1の人口、2,500万人が死亡

この時のペスト大流行は、国名を「元」と称していた中国から始まって長い道のりをたどり、最後にヨーロッパに侵入したといわれている。この道は、マルコポーロがイタリアから元までたどった旅行とはちょうど逆ルートにあたっている。
ヨーロッパでは当時、ペストは黒死病と呼ばれ、人々は恐れ、おののいた。その名の由来は、ペストにかかると、全身の皮膚が紫黒色となって死んでいくからだった。
1347年の大流行は、その流行の規模や後世に与えた影響からみても、それまでヨーロッパが経験したことのないほど強烈なものとなった。当時のヨーロッパの全人口の4分の1である2,500万人がペストによって死亡したといわれているのである。

ヨーロッパ史の時代区分の1つに「中世」がある。一般的には、西ローマ帝国滅亡(476年)あたりから東ローマ帝国滅亡(1453年)までの、キリスト教支配による時代を指している。

ペストで荘園制度を崩壊

それがペストの大流行によってあっけなく幕を閉じてしまうことになる。
どういうことかというと、中世のヨーロッパは国王や教会主階級が荘園を所有しており、そこでは農奴を使っていた。封建社会、階級社会、搾取社会であり、それが権力者の、ひいては国家の経済的基盤となっていた。
ペスト大流行の前から荘園はすでに農奴が減りはじめていたが、ペストの流行によってそれがさらに加速化し、経済的な基盤が崩れてきた。また、土地にしか関心のなかった封建領主が、ペストによって死んでいく農奴をみて、生産の担い手が農奴であることに気づくともに、農奴たちも人間として目覚めはじめてきた。こうして、ヨーロッパの中世封建制度を支えていた農奴制が崩壊していったのである。

ペスト大流行は人間の精神にも深刻な動揺をもたらした

当時、文学作品の中で、この恐ろしいペストの大流行を細かく書いていた小説家がいた。小説家の名はボッカチオで、小説は1353年に完成した『デカメロン』である。この作品は近代小説の代表として、同じころに書かれたダンテの『神曲』と並び称されている傑作である。
小説の内容は、ペストの大流行を避けて、フィレンツェの郊外に脱出した3人の青年と7人の女性が、10日間にわたって毎日1人が1話ずつ物語りを語るという筋書きになっている。全部で100作の短い物語が並んでいるが人間の欲望を明るく描いている。
ところが、楽しい物語の前に、ペスト大流行の様子が次のようにかなり具体的に記されている。
「あらゆる人間の知慧や見通しも役立たず、そのために指命された役人たちが町から多くの汚物を掃除したり、すべての病人の町に入るのを禁止したり、保護のため各種の予防法が講じられたりいたしましても、あるいは信心ぶかい人たちが恭々しく幾度も神に祈りを捧げても、行列を作ったり何かして、いろいろの手段が尽されても、少しも役立たず、(中略)この疫病は不思議な徴候で恐ろしく猩獗になってきました」(野上素一訳、岩波文庫)

ペストから救ってくれなかったキリスト教。神への不信感が芽生えた

『デカメロン』に書かれていることによると、ペストによる死者は、いくら身分が高くてもその死体は野原に放置され、多くの人たちが人間というよりも獣のように死んでいった。やがて、人々は家畜や土地のことも気にならなくなっていき、だれもが将来のために働く気も失った。未来よりも、現在がよければいいと思うようになっていった。
ペストの大流行は、社会的な影響ばかりでなく、人間の精神にも深刻な動揺をもたらしたのである。キリスト教が自分たちをペストから救ってくれなかったという現実に、はっきりと気がついた人々は、神への不信感を持つようになっていった。ここに、ヨーロッパの中世を支えてきたキリスト教という支柱が崩壊したのである。

さらには、ギリシャやローマから続いてきた古典的な学問も没落していった。千年以上にわたって、絶対的な権威とされてきた学問の失墜は、キリスト教への不信とともに、中世ヨーロッパを支配してきた価値体系の終焉を意味した。
こうして、ペスト大流行は、ヨーロッパの社会を中世から近世へと大きく変動させていくことになった。ルネッサンスへの扉を開け放したのもペストだったし、キリスト教から自然科学へと世界史を大きく動かしたのもペストの仕業だったといえるのである。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。