病気と歴史 - コロンブスの航海土産、梅毒。シャルル6世は梅毒流行のために戦争を中止した

病気と歴史 - コロンブスの航海土産、梅毒。シャルル6世は梅毒流行のために戦争を中止した
新大陸から持ち帰った梅毒スピロヘータ 

梅毒は、古くから性病として恐れられてきた伝染病である。とはいっても、ヨーロッパとアジアにおける梅毒の歴史は、コロンブスがアメリカ大陸に上陸した時に始まった。コロンブスは、ジャガイモ、カカオ、トウモロコシといったいろいろなものをアメリカ大陸から持ち帰った。その中にはタバコもあった。
ところが、とんでもないものまでも持ち帰った。それが梅毒であった。

梅毒は性行為によって伝染する性行為感染症(性病)で、原因の細菌は梅毒スピロヘータである。コロンブスが持ち帰った梅毒スピロヘータは、セックスを介して驚くほどの速さでヨーロッパ中へ広がっていった。
当時、フランス王はシャルル8世であった。1494年、イタリアに攻め込んだシャルル8世は、その年の暮れにはローマに入城し、翌年の2月、ナポリへと軍隊を進めた。そのナポリの戦場で突然、フランスとイタリアの兵士の間にまったく新しい伝染病が発生した。梅毒スピロヘータがナポリにまで感染世界を広げたのだった。

軍隊を介してヨーロッパ中に広まる

軍隊と女性の関係は、中世の欧州では軍に売春婦たちが付き添って行軍するのは当たり前だった。それは現代まで続き、湾岸戦争の際にも兵士向けの売春施設がつくられたという話もある。
それはともかく、フランス王シャルル8世の軍隊は、梅毒の大爆発のため、もはや戦争どころではなくなってフランスに引き揚げた。戦争を中止したのであった。

このとき、フランス人とイタリア人はこの新しい病気を別々の名前で呼んでいた。フランス人は「ナポリ病」、イタリア人は「フランス病」と言い、病気の発生を互いに相手のせいにしたのだった。
ところが、この新しい病気を戦場に持ち込んだのは、フランス人でもイタリア人でもなかった。ナポリで梅毒を流行させた真犯人はシャルル8世の軍隊の中に加わっていたスペイン兵であり、さらに元をたどればジェノヴァ共和国のコロンブスだったのである。

ともかく、梅毒はシャルル8世の軍隊によってフランスに持ち帰られ、また、この軍隊の中にいたドイツ兵、ポーランド兵、スイス兵たちは、それぞれの故国に梅毒を持ち帰っていった。こうしてヨーロッパは梅毒の嵐に巻き込まれていった。1495年にはドイツとフランス、1496年にはオランダとギリシャへ、1497年にはイングランドとスコットランドへ、1499年にはハンガリーへと急速にヨーロッパに広まっていった。多くの人が梅毒で死んでいったし、シャルル8世もまた梅毒のため1498年に28歳で亡くなった。

近世欧州と日本の初の出会いは、鉄砲ではなく梅毒だった

梅毒は、当時のルネサンスという歴史的時代を背景に順風にヨーロッパを席捲したのであるが、その広がりはヨーロッパだけにとどまらなかった。当時世界は大航海時代に突入し、ヨーロッパ人はアジアを目指して航海に乗り出していた。
1497年7月、ポルトガル国王マヌエルの命を受けてリスボンを出航したヴァスコ・ダ・ガマの率いる5隻の船は、アフリカ南端の喜望峰を越え、翌年5月にインドに到着した。インド航路の発見であった。梅毒スピロヘータは乗組員に同行し、インドに侵入した。
インドに入った梅毒スピロヘータにとって、中国への道はそれほど遠くなく、中国に入り込み、広がっていき、「広東瘡」とか「揚梅瘡」といった病名がつけられた。

そして、当時、明との貿易が盛んだった日本に梅毒が上陸したのは1512年のことだった。ヨーロッパから鉄砲が伝わったのが1543年であるから、梅毒は鉄砲より30年も早くヨーロッパから日本にやってきたわけである。
日本史の教科書には、近世ヨーロッパと日本との出合いは鉄砲であると書かれているが、事実は違っている。日本は梅毒という病気を介して近世のヨーロッパと遭遇したというのが歴史の真実である。
日本に上陸した梅毒は「琉球瘡」とか「唐瘡」呼ばれ、日本中に広がっていった。家康の実子で秀吉の養子になった結城秀康、関ケ原で活躍した大谷吉隆といった戦国の武将たちも梅毒にかかっている。
コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰った梅毒という病気は、わずか20年で世界を一周したのである。梅毒が日本にやってきてから10年後、マゼランが成功した世界一周の航海に4年もかかっていることを考えると、梅毒の世界一周旅行は驚くほどのスピードであった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。