病気と歴史 - うつ病が生んだ最高傑作『悲愴』チャイコフスキーのコレラ死は実は自殺だった?!

病気と歴史 - うつ病が生んだ最高傑作『悲愴』チャイコフスキーのコレラ死は実は自殺だった?!
「ガラスのような少年」といわれるほど、繊細で感受性が強かった

チャイコフスキーの音楽は叙情的で流麗、メランコリック、メルヘンチックで親しみやすい。クラシック愛好家でなくても、『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』などは知っているだろう。
ロシアの大作曲家、ピョートル・チャイコフスキーは1840年5月7日、ウラル山麓の鉱山町で鉱山監督官の家に生まれた。
ロシア音楽を国際的水準に高めた不滅の作曲家であるが、その人生は決して順調ではなかった。幼少時から神経過敏で、「ガラスのような少年」といわれるほど繊細で感受性が強かった。

10歳のときの母の死、同性愛である葛藤……うつ状態から狂気の淵に

10歳のときに母を亡くし、精神的に大きな打撃を受け、成人後も心気症に悩まされた。創造の苦しみに加え、同性愛者であることの葛藤が心を疲弊させ、精神のバランスを失わせた。その一生は、うつ状態のくり返しだった。
うつに陥り、不眠症、腸のけいれん(神経性腸炎)、頭痛などに苦しんだ。特に『第一交響曲』を作曲した1868年ごろには、これらの症状に悩まされ、狂気の淵に追い込まれたという。

1877年には、教え子の女性と結婚したが、同情心からの衝動的なものだった。同性愛者という噂を消したい気持ちもあったようである。しかし結婚生活に耐えきれず、自殺を図り、結局自分から別れた。
女性との関係ではその後、富裕な未亡人から資金援助を受けるようになった。経済的に安定した生活が13年間続いたが、1890年にその彼女から一方的に援助の中止を通告された。
これにはチャイコフスキーは大きな衝撃を受け、気分が激しく落ち込んだ。

「悲愴」完成の8日後にコレラで急逝

そういうなかで1893年10月、最高傑作といわれる『交響曲第六番(悲愴)』が完成したのだった。彼自身、自己の最高傑作と自負し、この曲の初公演は彼、自ら指揮をとった。それが10月28日でのことで、その8日後、コレラで急逝した。53歳だった。
コレラに感染した原因は川の生水を飲んだことで、それも止める弟を振り切っての行為だったと伝えられている。そのため自殺の疑いも生まれたし、砒素服毒による自殺説も唱えられた

自分の死を予期したような作品

『天才生い立ちの病跡学』によると、この曲にはたくさんの不思議な話が言い伝えられているという。こういう疑いが生まれる過半の責任は実は『悲愴』の曲想そのものにあるといってよいと福島氏は述べ、次のように続けている。
「特に、第4楽章が従来の交響曲を破ってアダージョ・ラメントーゾ」で書かれており、消え入るように終わっていることは、作曲家が自分の死を予期しているように見える」

うつ状態のつらい心理状態を経験しているから、『白鳥の湖』に代表されるような甘く切ない旋律を生み出すことができたのではないかとも見られているが、福島氏も「チャイコフスキーの音楽と彼の躁うつ病は非常に深い関係を持つ」との見方を示し、次のように書いている。
「躁うつ気質者の特徴として、チャイコフスキーは外からの刺激に対して非常に敏感に反応する。シェークスピアを読めば感激して交響的幻想曲『テンペスト』を書き、ダンテの『神曲地獄篇』を読めば涙を流して幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』を作曲した(後略)。
他人の芸術作品だけでなく、風土や季節にも忠実に反応した。『イタリア奇想曲』『フィレンツェの想い出』に反映している明るいイタリアの陽の光と透明な風、ピアノ組曲『四季』に素朴に反映するロシアの十二ヵ月の気分のうつろいなどには、他の作曲家には見られぬナイーブな感性を見ることができる」

チャイコフスキーのように、外界の対象や刺激にすぐに巻き込まれ、対象と一体化する強い傾向は、精神医学的にいうと、躁うつ気質の基本特性で、「それは一面では熱中性、執着性、万能的幻想として、他の局面では絶望、幻滅や憂うつとして表現されるであろう」
と福島氏は述べ、次のように続けている。

「ともあれ、チャイコフスキーにとっては、思弁や規則や慣習よりも、現実に『そこにある』ものが重要なのであり、それを素朴に感じ、見つめ、追求し、表現することが大切なのであった。彼にとっては、『感情』と呼ばれる人間的現象もその例外ではなかった。他の作曲家があまりに感傷的、素朴、通俗的などと考え、彼らの『芸術』から放逐していた、人間のナイーブな感情をありのまま表現した」

『悲愴』を聴かせると、うつ病患者の症状が重くなる

同書には、チャイコフスキーの病気を調べ上げ、病跡学の論文を書いたフォン・ミューレンダールという医師のことが紹介されている。その医師は精神科の臨床医で、入院患者にいろいろな音楽を聴かせたが、チャイコフスキーの『悲愴』を聴かせると、うつ病の患者の症状が重くなる。つまり、憂うつになり、絶望的となり、時には自殺を考えるまでになることに気づいた。

精神分裂病(現在の統合失調症)や神経症性のうつ病患者では病状の悪化は目立たない。したがって同医師は、チャイコフスキーのうつ病(メランコリー)は内因性のものであろうという見方をしているという。内因性とは遺伝性のものという意味である。
チャイコフスキーの死因は永遠の謎であるが、チャイコフスキーの生涯を追うと、それ以上生き続けることは無理だったと思われる。
それにしても、内因性うつ病の人が『悲愴』を聴くと病状が重くなるというのであるから、なんともすさまじい曲をつくったものであるし、この事実に何よりチャイコフスキーの本質が秘められているのであろう。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。