東 雑記帳 - 鉛入りボトルでワインが旨くなる

東 雑記帳 - 鉛入りボトルでワインが旨くなる

住まいから近いの居酒屋にたまに飲みに行っていた頃の話。顔なじみになった一人に、近所の別の居酒屋チェーンで働いている五十代の調理師の男がいた。他にも何人か顔なじみになった男たちがいた。店で会うと、雑談をする。
あるとき、いきさつは忘れたが、ウイスキーやブランデーを入れるクリスタルのボトルの話になった。

その調理師は、本当は美大に入りたがったがかなわず、仕方なく大学は文化系に進んだという。定年後は絵を描いて暮らすのが夢だという、独身の少々変わった男だった。そして、なぜかわからないが、変な物知りであった。
クリスタルのボトルについて、こちらが「二十年ぐらい前に買ったのを持っている」と言ったところ、
「C国製のクリスタルボトルはいけませんよ。あれは鉛が入っている」
幸い、自分が持っているのは、フランスだったか、欧州のどこかの国の製品で、大阪のホテル内の専門店で買ったもので、値段は確か三万か四万かしたはずだった。
ただし、そんな自慢たらしいことは言わなかった。

それはともかく、鉛入りのクリスタルボトルと聞いて、ローマ帝国の皇帝のことを思い出した。
ローマ帝国では、歴代皇帝は、ワインを飲む際に鉛のジョッキを愛用したという。その理由は、ワインが旨くなるからである。鉛には、ワインの酸味を甘くする作用があった。当時のワインは、発酵が進んでいて酸っぱくなっていたようである。
酸敗しかけたワインを鉛の鍋に入れて煮詰め、シロップをつくった。このとき、甘い酢酸鉛ができる。これは鉛が酢酸に溶けた物質で、別名を鉛糖という。

また、当時のローマ人は、鉛の容器に酸味の強いワインを入れ、弱火で加熱することでワインの酸を利用して鉛を溶かし、ワインを甘くする技術を持っていたという。
さぞかし、皇帝たちは旨いワインを堪能したことだろう。
しかしそのため、彼らは強度の鉛中毒に陥った。
鉛が体内に蓄積されると、造血作用が障害され、麻痺や脳障害を引き起こす。歴代のローマ皇帝のうち、三代目カリグラの残虐性、四代目クラウディウスの精神異常や言語障害。そして、五代目ネロの狂気と残虐性。これらは鉛中毒のせいととらえると納得できる、と毒物の専門家はみている。

それにしても、鉛が溶けると、ワインがそんなにも旨くなるものかと思いながら、置物と化しているわが家のクリスタルのボトルに目をやるのだった。焼酎を飲みながら。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。