東 雑記帳 - 最初で最後のいんきんたむし(陰金田虫)

東 雑記帳 - 最初で最後のいんきんたむし

二五歳の頃、定まらない生活の果てに一時期、短期間であったが、関東の温泉旅館で働いたことがあった。寮に住まいし、食う、寝るには困らなかった。
温泉旅館の仕事は一日が長い。日付が変わる時間に近くなってから、仕舞い湯に入り、やれやれ今日もようやく終わったと、身心がほぐれてくる。
そんなある日、睾丸が痒くてたまらなくなった。
これは尋常ではない。いんきんたむし(陰金田虫)に違いないだろう。
翌日、午後の休憩時間に街中に出向き、薬局でタムシチンキを買ってきた。

タムシチンキには、多少なじみがあった。中学、高校の頃、たまに唇の端に水疱ができることがあった。いわゆる、熱の花である。ヘルペスが原因の水疱で、できかけるときから痒くなる。いったんできると、その水疱が自然におさまり、かさぶたができ、それが剥がれるまで何日もかかる。こんなもの、唇の端に付けているなんて、恥ずかしくてたまらない、思春期の身としては。
そこで、できかけのときに早めに患部にタムシチンキを塗ると、早く水疱が破け、治るのが数日早くなる。これを塗るとよいと教えてくれたのは母親だった。
タムシチンキを塗ると、患部に熱感が生じ、焼く感じがした。

さて、寮に帰って早速、下半身を出し、睾丸にから蟻の門渡りあたりまでタムシチンキを塗ったのだが、広範囲に塗ったこともあり、反応は強烈だった。とにかく、ヒリヒリし、熱い。鏡で見ると、睾丸から蟻の門渡りにかけて真っ白くなっている。ここに白癬菌が巣くっていたと、わかる。
それにしても、一面真っ白の光景には驚き、見惚れてしまった。なんだか、愛着もあった。
タムシチンキの効き目は速効で、一回塗っただけで痒みは取れ、患部は枯れていった。

そういえば、高校の頃、同じクラスの運動部のやつが、「いんきんたむしにタムシチンキを塗ると熱くてたまらないから、団扇で扇ぐ」と言っていたのを思い出した。後輩に仰がせていた厚かましいやつもいたように思うが、それは劇画の一場面だったか。五、六十年も昔のことで、今となっては記憶はおぼろである。
このとき以来、現在まで、いんきんたむしになったことはない。今のままでいくと、最初で最後、生涯一度の体験ということになるのだろうか。
それにつけても、陰金という漢字は不思議だと思うが、語源を調べたことはない。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。