東 雑記帳 - 昭和的銭湯

東 雑記帳 - 昭和的銭湯

数年前まで、家から5分ぐらいのところにある銭湯に時々行っていた。
下駄を履いて、タオルと石鹸箱を手にして。
客は、いつ行っても、多くて3人程度。よく営業が続けられるものだと、他人事ながら心配するほどの入りだった。風呂場は浴槽が2つあって、浴槽に向かって左右2列に5つずつ、カランが設置されている。

温度計のお湯は42度を示しているが、とてつもなく熱く、息を止めて、ひと思いに入ることもできない。45、6度はあるのではないかと思うほどだった。だから、たいていの人が、蛇口の水を出しっぱなしにして、ぬるめ、蛇口近くにそろそろと体を沈めるのがやっとであった。
銭湯にわざわざ通うのは、レトロな雰囲気が好きなこともあったが、温冷浴をするためであった。お湯がとてつもなく熱いので、温冷浴をするのに最適であった。
脱衣所には、ロッカーと脱衣籠、マッサージチェアが1台。そして牛乳の冷蔵庫。扇風機が1台。壁には、近所の飲み屋の手作り広告が貼ってあり、「銭湯帰りに一杯いかが!」などというコピーが書かれている。

こういってはなんだが、時代の変化にまったく対応していない、設備も昭和レトロそのままの銭湯で、経営する年配の夫婦も、やつれた感じがして、時代離れしている雰囲気があった。
お湯から上がると、着替える前に喉を潤すが、なぜか普通の牛乳ではなく、コーヒー牛乳(今は、ミルクコーヒーなどの表記に変わっている)を飲みたくなる。
隣に女湯もあり、女湯から女性の大きな声がしたと思ったら、仕切りの上にシャンプーが現れ、それを30代前半とおぼしき男が立ち上がって取った。まるで昭和の高度成長期の頃の光景だった。
この銭湯には、背中に入れ墨を入れた男がよく2人連れで来ていることがあった。全部で4人いるようだった。40代、50歳前後が1人ずつで、残り2人が60代に見えた

その後、温冷浴をしなくなったこともあり、3年ぐらい前から行かなくなっていた。
3か月前のこと、散歩の途中でたまたまこの銭湯の前を通りかかったら、玄関に張り紙がしてあって、「煙突から出る煙が臭いとの苦情があったので、休業します」と書いてあった。その銭湯は廃材とおぼしき木材を燃料にしてお湯をわかしていた。2か月前に通りかかって、ふと煙突を見ようと見上げたら、煙突はなくなっていた。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。