東 雑記帳 - 屋号は虫屋

東 雑記帳 - 屋号は虫屋

昭和の終わりの頃だったと思う。
八月の十日頃だったか。新橋の烏森口、ニュー新橋ビルの前で、秋の鳴く虫を売っているのを見かけ、クツワムシとキリギリスを買ったことがあった。
ほかに、鈴虫、松虫、邯鄲(カンタン)、カネタタキなどを売っていたと思うが、キンヒバリやクサヒバリを売っていたかどうかは定かではない。

売っているのは六十がらみの男で、テキ屋風ではなかった。虫の代金を払いながら、
「おやじさん、どこから来ているんですか」とたずねたところ、
「千葉の旭だよ」とひと言、答えてくれた。

当時はまだ、夜の銀座では、鈴虫や松虫を売る移動屋台も出ていた。屋台に虫かごが鈴なりだった。銀座遊びの男たちがクラブのおねえさんたちへのお土産に買ったのだろうか。
屋台の主はあんちゃんで、テキ屋らしかった。

それから一、二年後の夏、旭市にクツワムシを捕りに行った。たぶんいるだろうと、草むらがあるほうへタクシーを走らせ、探し回ったが、それらしき鳴き声はまったく聞こえなかった。
同情してくれたのか、タクシーの運転手が、「いるはずなんだけどなあ。今度、探しておくから、捕まえたら連絡するよ。草むらに離しておくから、捕りに来たらいい」と言うではないか。仕込みの昆虫では、虫取りの醍醐味はない。腹が立ったわけでもないが。ろくろく返事もしなかった。

その夜はJR旭駅から歩いて二、三分のところにある藤屋旅館という旅館に泊まった。翌朝、宿を出たところ、目の前の家に「むしや」という暖簾がかかっていた。「むし家」だったかもしれない。
しばらく、暖簾を見つめ、訪ねてみようかと思ったが、やめにした。
こういう生業の人は、つっけんどんな対応をする気がし、気後れしたのだった。
その後知ったが、この家は遠藤さんという、江戸時代から七代か八代続く虫屋だった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。