東 雑記帳 - 口輪を付けられていた、狂犬病の犬

東 雑記帳 - 口輪を付けられていた、狂犬病の犬

小学四年のとき、ある日の午後三時頃、町の中心部へ行く近道を一学年上の姉と歩いていた。お使いか何かだったのだろうか。ゆるやかな坂を上りきろうとしたあたり、左右は住宅が続いている。道幅は四、五メートルだろうか。
と、進行方向右に、一匹の犬が現れた。さして大きくない、やせた中型の雑種であるが、口輪を付けられている。

その犬は、こちらを見つめていた。狂犬病だとわかって、ひるんだ。姉もひるんだのだろう、ひと言も発しなかった。犬を見ながら、刺激しないように静かに、かつ素早く、前へ進んだら、犬は追いかけてこなかった。怖いというより不気味だったが、やはり怖かったのか、姉とそのことについて言葉を交わした記憶がない。

四十歳の頃、歌人の吉野秀雄さん(明治三十五~昭和四十二年)の『桑畑の中のマル』というタイトルの随筆を知った。わずか四百字原稿用紙三枚の掌篇である。
吉野さんは、子供の頃、家庭の事情で群馬県高崎の祖父母のところに預けられた。明治四十二年のことである。祖父母に可愛がられたが、母親恋しさばかりはどうしようもなかった。少年のその淋しさを慰めるものに、自転車と犬があった。
犬はもともと祖父母の家に飼われていたが、すぐに仲良しになった。
白と黒のぶちでろくろく芸も知らない駄犬にすぎないとはいえ、少年の気持ちは十分のみ込んでくれていた。遊びに行く時にはどこまでも後を追う代わりに、学校へ行く時には決してついてこないというわきまえを持っていた。

小学三年の頃、町に狂犬が発生した。だんだんと数が増え、騒ぎは大きくなっていった。噛まれれば、犬のように這いながら狂い死にするといわれて怖がっていたが、その防ぎ方となると、狂犬は真っ直ぐに突き進んでくるから、ひょっとわきへ身をよけるのが一番だなどと素朴なことが教えられた。

そのうち、マルが失踪した。毎日毎日待ち暮らすが戻らない。ある日、自転車で町裏の桑畑の中を通ると、奥のほうに犬らしきものがある。自転車を降りてじっと見つめると、確かにマルだ。
近寄って「マル! マル!」と呼んだ。尻尾を振って駈けてくるはずのマルが不気味にうつろな目をして「ウウ! ウウ!」と唸り、向かってくる。少年はマルが狂犬になったことを直覚して、胴のあたりが慄えだした。しかし一方、マルの可愛さがこみ上げてきて、逃げるつもりにもなれず、「マル! マル!」と呼び続けた。マルは目の前一間ぐらいのところで立ち止まり、妙な格好で私を見上げた。一瞬、うなだれたようであった。そして、噛みつかなかった。

マルは狂っていたが、真剣になってわたしをわたしとして認めてくれたのだ。それがマルとの別れであった。

何度読んでも心を打たれる。
さて、自分が子供の頃に遭遇した犬の口輪は筒型であったが、材料は何だったか覚えていない。竹製だったのか、金属製だったのか。
その後調べたら、昭和二十五年に狂犬病予防法が制定された以後は、狂犬が発生したら、その地域の犬は口輪を付けるか、あるいは、つないでおくことが義務づけられた。
とすると、あの犬は狂犬病を発症した犬ではなかったのか。そうならば、住んでいる町に狂犬病が発生したと考えられるが、そんな話は耳にしたことはなかった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。