東 雑記帳 - 七歳までは神のうち

東 雑記帳 - 七歳までは神のうち

先祖の位牌に、知らない名前がある。
曾祖父の子供で、「幼光童女」とある。(実際に書かれている「幼」の字は、つくりが「刀」で、漢字辞典で調べたら、幼の別字体のようである)亡くなった日は、明治二十年二月十三日。
この子供のことは祖父母や両親からも聞いたことはなかったので、いったいどういう人だったのだろうかと、漠然と思っていた。一学年上の姉に聞いても、姉はそういう位牌があることさえ知らなかった。

その位牌は、筆跡から祖父が書いたものとわかる。祖父はこの女の子の存在を知っていて、書き遺したのだろうか。
数年前、偶然のことから曾祖父の父、つまり高祖父の戸籍謄本が手に入ったが、その戸籍に曾祖父の長女、次女、三女の名前はあるが、この女の子の名前はない。いったいどういうことなのだろうかと、疑問が残ったままだった。
ちなみに、高祖父の戸籍に記載がある曾祖父の長女は明治二十一年生まれだから、本来はこの幼光童女が長女だったのだろう。

それがあるとき、日本人の病気の歴史に関する本をめくっていてたまたま、「七歳までは神の子」という言葉が目に飛び込んできた。
こういうことだった。
江戸時代、乳幼児の死亡率は高く、この時期を無事に超えることが一大事だった。出産時の死亡率は高く、無事に生まれても、無事成長するかどうか油断がならない。
ということで、どのように受け止めていたかというと、「七歳までは神のうち」ということで、この言葉が生まれたようだった。
立川昭二さんの著書によると、当時の人別帳には乳幼児の記載が少ないという。「生まれても一、二年、あるいは四、五年で死ぬことがあまりにも日常的であったため、記帳をはぶいたのであろう」というのである。七歳を超えて初めて、人別帳に記載する。

このことから、ひとつの推論が湧いてきた。
明治になって、新戸籍の制度ができてからも、この習慣を守っていたのではないだろうか。乳幼児の死亡の多さは、明治中期になっても変わらなかったというのだから……。
とすると、辻褄が合う。
というわけで、ひとつの結論が得られたのだった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。