東 雑記帳 - 一緒に行ってえナ

東 雑記帳 - 一緒に行ってえナ

山茶花九さんの名前は中学のころから知っていたし、映画やドラマで目にしていた。
同じクラスの男に芸能通がいて、「山茶花究の名前は三掛ける三で“さざんがきゅう”の語呂合わせや」などと知ったかぶりに話していたが、本当なのかどうか。

山茶花さんは目玉が大きく、エラが張ったいかつい顔で、神経質そうな、あるいは嫌みたらしい憎まれ役、悪役がよく似合ったが、一方で善玉も演じる性格俳優であった。

森繁久弥さんいわく、彼とは莫逆の友で、森繁劇団では山茶花さんは三木のり平とともに副座長格として劇団をもり立てた。
山茶花さんが無類の酒好きだったことは、『情緒あふれる言葉』の『五臓六腑に染み渡る』で書いた。

ここからは、森繁さんの『あの日あの夜 森繁交友録』(中公文庫)からの引用である。

その山茶花がはや何ヵ月も寝ついている。彼の両方の肺はほとんど駄目で、肺からの酸素が足りない。本かテレビでも見せてやったら──と医者に言うと、それはやめていただきたい。頭を使うとウンと酸素が必要です。ただじっと寝かしておいたほうがいいのです──と。彼は古めかしくも労咳であった。
(中略)

森繁さんは、そんな山茶花さんを見るのが嫌で、いっこうに病院へ足を向けなかった。だが、奥さんから「ボツボツお越しいただけないか」という知らせがあって、とうとう病院に出向いた。
以下は、『森繁交友録』から、見舞いに行った森繁さんと山茶花さんのやりとり。

「おい究! どうした」
彼は黙って、大きなアノ眼を開いて私を見た。しばらく見合ううち、彼はこぼれそうに涙をためて非情でない顔をゆがめながら、笑ってくれた。そしてポツリと、
「淋しいもんやナァ」
という。それは私にだけしか聞こえぬほどの小さな声だった。
「何か欲しいものはないか?」
「………………」
「元気がないぞ、情けない!」
「おい、シゲさん」
「なんだ!」
「一緒に行ってえナ、一人では淋しい」
「バカ!」
といったが、笑えなかった。
だんだん冷たくなる手を握りしめていたら、最後にちょっと握りかえして目をつむった。

人間誰もが逝くときは一人である。そんなことはわかりきっているが、しかし、一人ではつらい。しかし、同時に逝けたとしても、意識は別であるが、これもわかりきったことである。

「一緒に行ってえナ」と素直に言えるということは、二人が莫逆の友であることの証で、そう言える友を持っているということは、互いになんと幸せなことだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。