【感謝感激雨霰(かんしゃかんげきあめあられ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【感謝感激雨霰(かんしゃかんげきあめあられ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

たいへん感謝し、感激していることを戯(ざ)れていった言葉である。今ではほとんど耳にすることはないが、昭和四十年頃までは若い世代の男性も使っていたと記憶している。

「感謝感激雨霰(かんしゃかんげきあめあられ)」は、日露戦争について伝える記事で集中的に艦砲射撃を浴びせるさまを「艦砲射撃の雨霰」と使ったことに由来すると言われている。
「感謝感激雨霰」はそのもじりで、感謝や感激がきわまったという意味合いで使われ始めた。七五調でリズムがよいことから、よく使われるようになったのだろう。ちなみに、「雨霰」は現在も使われており、「銃弾が雨霰のように飛んでくる」などと用いる。

語源についてはまた、読売新聞のコラム、編集手帖に次の説が紹介されていた。
〈感謝感激、雨あられ〉という言い回しがある。なぜ雨や霰が出てくるのか、不思議ではある。国語学者の見坊豪紀さんによれば、日露戦争を題材にした筑前琵琶の一節、〈乱射乱撃…〉のもじりだという。元の言い方が忘れられ、もじったパロディのほうが生き延びる。よくあることだろう。(後略)

『大辞泉』(三省堂)には、「『乱射乱撃雨霰』のもじり」とある。こちらの説のほうが正しいのだろうか。

現代では、「感謝します」あるいは「感謝いたします」というべきところを、若い世代では「感謝です」ということが増えてきた。誤用であるが、それはともかく、それを言うなら、「感謝感激です」のほうがもっとよいのではないだろうか。「感激」が加わっているのだから。さらには、「感謝感激感動です」と三段重ねにする方法もあるだろう。
とはいえ、「雨霰」を付けるのは、現代ではやはり恥ずかしいだろうと思われる。

親しい人に対しては、真面目に感謝の意を表すのが気恥ずかしいことがあるが、そういう場合に「感謝感激雨霰」と、おどけて言うと気恥ずかしさが薄められる。
たいして感謝していなかったり、ありがた迷惑と思っていたりする場合も、この言葉を用いると、こちらの本音がごまかされる効用がある。

時代遅れの感は否めない「感謝感激雨霰」だが、手紙やメールではハードルが低いのではないか。その場合、「感謝感激雨霰(!)」あるいは「感謝感激(!)」と、体言止めのぶつ切りにすると格好良いだろう。

なお、末尾に「涙がちょちょぎれる」を付けて、「感謝感激雨霰涙がちょちょぎれる」という言い方もあって、若い男性が一時期使っていた。「涙がちょちょぎれる」は、うれしい、もの悲しい、さむいなど、さまざまな感情に用いられる。ありがた迷惑なことに対して、反語的に用いることもあった。「うれしくて、うれしくて、涙がちょちょぎれるよ」というとき、多くの場合、その心は、ちっともうれしくないのであった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。