【命あっての物種(いのちあってのものだね)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【命あっての物種(いのちあってのものだね)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

秦恒平さんの『からだ言葉の本 付“からだ言葉”拾彙』(筑摩書房)から引用させていただく。

日本人はおよそ、(一)現状本位、(二)世間本位、(三)情趣本位にものを考え、選び、行動する傾向を素質的に持ち合わせている気がする。
(一)の現状本位とは、どういう意味か。
あえて現実、現世、現象などといわず、現状というのは、この語感のもつ、ある緩さをとりたいからだ。もとより現世利益を願い、退嬰的に現実の環境を受容し、目先の現象に左右されることの一切を含めて、現に在る状況をひきずり、またそれにひきずられながら、なるべくその現状を自分の手で変改はするまいとする。
根本に「命あっての物種」という現世への献身があり、他のあらゆる論理は簡単にこれに従属してしまう。基本は「命」であり、
「からだを傷めない」ことにある。そのためには、大事なはずの“こころ”にも忍従や盲従や屈従を強いる。死んでは元も子もないという思想だ。

長々と引用させていただいて、秦さんには申し訳ない。論はさらに、次のように続く。
何もかも、そこを梃子の支えにするものだから、論理も正義も意気もない。いわゆる「甘え」がかびのように生えてくる。

「命あっての物種」の「物種(ものだね)」は、「物事のもととなるもの。ものざね」。
「命あっての物種」は、「何事も命あってできることで、死んでは何にもならない」という意味。それはまた、「死んでは何にもならない」ということで、さらには「死んだらおしまい」ということである。「死んで花実が咲くものか」も同じ。

秦さんの文を読んで強く意識したが、日本人にはこの言葉が深く染みついていると思う。だから、仕事をがんばり過ぎるなど無理をしすぎて病気になった人に対して、「体を壊したらなんにもならないでしょ。命あっての物種だから」などといさめるのだろう。

ところで最近では、「物種」を「もの・だね」と勘違いしている人もいるようだ。
「命あってのもの、だね」と。
何も知らないなあと、笑うなかれ。口に出して言ってみると、語呂もリズムもよい。これでも意味は十分通じるのではないかと思われ、言葉というものは面白い。

オートバイで夜の山道をツーリングしていたところ、運転をミスして谷底に落ちて腕を骨折。携帯電話があったから救助を頼むことができて命拾いできた、六十男。
「いくらストレス解消のためでも、年を考えてくださいよ。今回は骨折ですんだけど、もっと大事になったかもしれないでしょ。命あっての物種って、言うでしょう。気をつけてください」と文句を言う妻に対して、
「そうだね。命あってのもの」と返し、半呼吸置いて「だね」と続ける。これを聞いた妻は、一瞬目を丸くしたが、すぐにわざとそういう言い方をしていると気づき、苦り切った表情がやわらいだ。笑わせる効用はある。

このようにうまく事が運ぶ場合もあるが、ただし、妻の不機嫌の火に油を注ぐ結果になるかもしれないので、取り扱い要注意。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。