【なまじかけるな薄情け(うすなさけ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【なまじかけるな薄情け(うすなさけ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

若い頃、遊び人風の人が近づいてきたので、なんとなく親しくなって、一晩アパートに泊めたところ、半ば居着いてしまい、難儀したことがあった。
別の話。お人好しの友だちに彼女ができた。うらやましので、「いいなあ」といったら、
「いや、そうでもないよ。わけありの女性でね、気の毒に思い、ちょっと心が動いただけ。たいして好きでもないがつき合っているだけだよ。こっちも、彼女がいないと淋しいだろう」
この友達は、別れるのに苦労したようだった。さして好きでもないのに情けをかけたのが仇になった。薄情けを。

こういう愚か者に対しては、親や年上の人が「なまじかけるな薄情け、と言うじゃないか。情けをかけられたと思ったから、相手がその気になったんだよ」と諭すこともあった。

なまじかけるな薄情け──ひと昔前まで、この言葉はときどき聞くことがあった。
世の中というのは、薄情けだらけといってよい。

やさしいから、情けをかけるのか。そのやさしさは、たんに気の弱さではないか。やさしさの裏に、寂しさや愛や情愛への欲望がひそんでいるのではないか。

「薄情け」は、「短い期間しか受けられなかった思いやり。かりそめのはかない情愛。あだなさけ」のこと。『大辞泉』(三省堂)には、「心のこもっていない愛情」とある。
「なまじ」は、「中途半端 無理にしようとするさま。なまじい。そうするのは無理なのにあえてそうするさま」
「なまじかけるな薄情け」は、「その気もないのに、かりそめの情けなどかけるな」ということであろう。かけられた本人が言う場合は、「本気でもない、かりそめの情けなどかけてくれるな」であろう。

「情け(なさけ)」「情(じょう)」は、人にかけられて覚えるものである。
薄情けでも、かけられたほうは「情け」をかけられた、場合によっては「深情け」をかけられたと思うかもしれない。
ちなみに、男女の間では、「情愛」も男女の行為も「情け」である。

ところで、「なまじかけるな薄情け」は諺ではない。だからなのか、辞書には載っていない。巷間で格言的に使われてきた言葉なのだろうか。

七五調の名文句で、日本人の耳に馴染みやいし、残りやすい。
この言葉はいつ頃から使われてきたのだろうか。

戦前の歌謡曲、『裏町人生』の一番にこの文句が出てくる。
『裏町人生』は酒場に働く女性の悲哀を歌った詩で、上原敏と結城美智子がデュエット。昭和十二年に『裏町人生』にレコードが発売され、ヒットした。
それが戦後また、リバイバルで美空ひばり、、鶴田浩二、大津美子、橋幸夫、北島三郎などのスターがレコードに吹込み、それは現代の氷川きよしにまで続いている。

その人たちの歌が自然に耳に入ってきて、頭に刷り込まれたのだろうか。

この言葉は古くから巷間で使われてきて、それを歌詞に用いたのだろうか。言葉として書き物に著したのはこの歌詞が最初なのだろか。浅学にしてわからない。

それはともかく、「なまじかけるな薄情け」と思う奥には、情けをかけられたが、それが薄情けとわかったときの落胆、失望、寂しさを恐れ、拒否する心がある場合もあるだろう。
ということは、この歌詞の主人公は過去にも、情けをかけられたと思ったが、それは薄情けだったという経験があったと思われる。

ちなみに、この言葉の意味を、「なまじ薄情けをかけても、本人のためにならない」と解釈している人もいるようである。「情けは人のためにならず」を、「情けをかけると、かけられた人のためにならない」との意味にとっているのと同じく、誤った解釈である。
そこまで説教臭い言葉ではなく、それが良さでもあると思う。

「なまじかけるな薄情け」は古色を帯びているが、他に代わる言い方はないのではないか。
日本人の性格、心情をよく表している言葉であり、覚えておくとよいだろう。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。