【ありのすさび】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【ありのすさび】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

「あり」は「有り、在り」で、古語の「あり」には、「存在する(ある、いる)」「生き長らえる、生存する、住む」「居合わせる」「時が経過する」などいろいろな意味がある。「ありのすさび」という場合の「あり」は「在り」で、ここでは「生きている」「生き長らえる」ということ。
「すさび」は「すさみ」ともいい、「在りの遊び(み)」と書く。「心のおもむくにまかせること、生きているという状態にまかせていること」「生きていることに慣れて、なんとも思わないこと。いいかげんに過ごすこと」である。

そして、そのことから派生し、「興にまかせてすること。慰みごと」「成り行きにまかせること」の意味もあり、「遊びであるが、趣味に没頭するような、真剣で真面目な遊びではない。暇つぶしの遊びである」という意味もあり、「ありのすさび」という場合、もっぱらこの意味で用いられる。
平安中期の『古今和歌集六帖』に次のような歌がある。

ある時はありのすさびに語らはで恋しきものと別れてぞ知る

暇つぶしに語り合っていたと思っていたものが、別れてのち、恋しい人だと知った。そういう歌である。

この「ありのすさび」は、自虐的、自己否定的に用いるとよい。たとえば、定年後に趣味にいそしんでいる人が、
「趣味三昧で充実した日々ですね」と言われたとき、
「いいえ、ありのすさびですよ」
あるいは、知人に「玄人はだしではないですか」とカメラの腕を褒められたら、「いいえ、ありのすさびにすぎませんよ」と答える。
老後に趣味三昧の人の中には、趣味のことを得意げ、自慢げに語る人がいるが、聞いていて見苦しい。やはり、てらいをもって、自嘲気味に「ありのすさびです」と言ったほうが好感が持てるのである。

「すさび」には「手すさび(手すさみ)」という言葉もあり、これは「手でする慰み。手慰み」の意。
なお、「老いのすさび」という言葉もあり、高齢者の場合はこちらの言葉のほうがしっくりくることもあるだろうが、ちょっと恥ずかしいと思う人、抵抗感がある人もいるだろう。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。